予言の書「ガリヴァー旅行記」長寿社会の幻想と現実

予言の書「ガリヴァー旅行記」長寿社会の幻想と現実 健康長寿で行こう!

今週、アイルランド政府は英国がこの10月末にEUとの合意がないままEU離脱を進める可能性が高いとして、新たな具体策を盛り込んだ緊急対策計画の更新版を発表した。英国にとってはアイルランド問題がEU離脱関連で一番悩ましい問題だろう。

アイルランドと聞いて僕が最初に思い浮かべるのは童話でもお馴染み「ガリヴァー旅行記」とその作者、ジョナサン・スウィフトだ。

「ガリヴァー旅行記」とジョナサン・スウィフト

「ガリヴァー旅行記」の原題は「Travels into Several Remote Nations of the World, in Four Parts. By Lemuel Gulliver, First a Surgeon, and then a Captain of Several Ships」。日本語の正式名称は「船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇」とされている。この「船医」、原題には「surgeon」とある。これを知った当初、既に外科医の卵だった僕はこの作品に対して改めて興味が沸くとともに、なぜ「外科医」と訳さなかったのだろうと不思議に思った。実は船医の場合は専門分野にかかわらず「surgeon」と呼ぶということは後に知った。米海軍などでは今でもその慣習が残っているようだ。

この本は僕の頭の中の書棚でいわゆる愛読書とも異なる不思議なポジションを占めている。その理由の一つはジョナサン・スウィフト自身の人生だ。単に「アイルランドの風刺作家」と称されることが多いスウィフトだが、実はアイルランド国教会の司祭でもあった。1667年にアイルランドのダブリンに生まれたスウィフトは、30代と40代の大半はダブリンと英国ロンドンを拠点として、両国の教会のみならず政界までを股にかけて活動した。その後、英国政界での挫折を経て、故郷アイルランドで作家活動に励んだとされている。当時のアイルランドは英国の不公平な経済政策により極度の貧困にあえいでおり、スウィフトは英国の政治、宗教、文化に深く関わった経験を有するアイルランド愛国者として、英国製品のボイコット運動などさまざまな反英活動に関わった。

そのスウィフトが「ガリヴァー旅行記」を出版したのが1726年、59歳の時。アメリカのある研究機関の文献には英国の平均寿命が「1820年までに『劇的に』伸びた」とあるのだが、それでも僅か41年の平均寿命だったという。そんな時代にスウィフトは1745年、78歳になる直前まで生きた。当時としては驚異的な長寿人生だったのではないだろうか。

この「ガリヴァー旅行記」は小人の国や巨人の国など、子供向けの冒険おとぎ話のように記憶している人も多いが実は数々の痛烈な社会風刺から成る物語だ。その多くが当時の英国社会や政治・制度に向けられたもので、英国で挫折したスウィフトが母国アイルランドで再起を図る中で生まれた作品だった。

全四篇から成るこの物語の第三篇でガリヴァーは幾つかの国を訪れるのだが、その中の一つ、ラグナグ王国では「ストラルドブラグ」と呼ばれる不死身の人間たちが登場する。不老不死ではなく「有老不死」だ。

不死であっても不老ではない長寿者の住む国「ラグナグ王国」

「ガリヴァー旅行記」では、ラグナグ王国で稀に誕生する不死人間「ストラルドブラグ」は種族や血統とは無関係に、あたかも「不死」という先天的な病を持つ者のように描かれている。ストラルドブラグとして生まれた子供には左眉の上に赤い斑点があり、その色は成長・加齢と共に変色し45歳で真っ黒になる。この国では80歳が寿命の終わりとされ、法律上は死者のように扱われる。手元に残る僅かな生活費や公費により80歳を超えてもなお生き続けるストラルドブラグたちは、それまでに身に着けた老人ならではの頑固さや気むずかしさ、欲深さなどに加えて認知症の症状も出るようになる。それらが進行し周囲の人々からは忌み嫌われながらも彼らは生き続ける。

若さや健康、体力・気力、記憶力などが加齢と共に失われていくのにもかかわらず寿命だけは永遠。当初、ストラルドブラグたちこそ人類が長年追求してきた不老不死を得た幸福な人々だとの幻想を抱き興奮したガリヴァーも、やがて不老ではない不死の人生には加齢や老化に伴うさまざまな不幸があるという現実を知る。長生きすることの夢や欲望とともに死に対する恐れは消え、むしろ死とはこれらの不幸から解放される救いなのだと考えを改める。その後、ストラルドブラグの話とは対照的に、第四篇には馬の姿をした理性あるフウイヌムという種族が登場する。彼らは健康で病を知らない。70代になると老衰し、自ら知人に別れを告げて安らかな死を迎える。

僕は20代の頃から87歳の現在に至るまで、部分的ながら幾度となくこの物語を読み直した。特にこのラグナグ王国の寓話はその時の自分の年齢に応じて感じ方が変わる不思議な作品だ。余談だが、作者スウィフトは残念ながら70代に入ってから精神疾患を患い、幸せとは言えない晩年を過ごしたようだ。自身が十数年前に執筆したこの寓話をどのような気持ちで思い起こしたのだろうか。

この先、医学がいくら進歩しても人間が不死身になることはないだろう。生物学的な不老研究の進展は特に欧米で目覚ましいものがあるが、それにしてもいつ、何がどの程度まで実現するかは誰にも分かっていない。ただ、平均寿命や健康寿命の延伸が着実に継続する長寿社会の人間は、不死身とは言わずとも死が遠のく分、どのような社会でどのような老後を、どうような心持ちで過ごすかがより大切になるのではないだろうか。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」

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