もし健康長寿が叶うとしたら…?

もし健康長寿が叶うとしたら...? 健康長寿で行こう!

今週、僕は米寿、つまり88歳の誕生日を迎えた。

自分で言うのも何だが、それなりに健康な状態で88歳の誕生日を迎えることができたのは幸せなこと。だが、これまでも今現在も、医師としての仕事や私生活でやりたいことができていること、そして88歳を迎えた今なお、この先やりたいことが残っているということはそれ以上の幸せだ。

もし健康長寿が叶うとしたら…?

「人生100年時代」や「健康長寿」が声高に叫ばれるようになって久しいが、仮にこれらを「目標」としてとらえると、それに対する「到達」や「達成」が絡んでくる。少なくとも、「言い出しっぺ」の政府はもともと社会保障費削減ありきで掲げたスローガンなので、国民の側が多少なりとも到達や達成を意識させられてしまうのは当然といえば当然。

だが、国民という集団の話と、それを構成する個々人の話は別だ。米寿を、人生100年に対する88歳として考えてみると「到達度88%」ということになる。味も素っ気も無い。

こんなことを考えながら、その「個々人」にしても、最近の風潮としては健康であることや長寿になることを目標にしすぎてはいないだろうかと思う。

不遜な物言いはご容赦願うとして、健康長寿に興味のある方々にはぜひ自問してほしい。

「もし健康長寿が叶うとしたら自分は何をしたいのだろうか」と。

原動力は「〇〇心」や「〇〇欲」

もちろん、僕は人生100年や健康長寿の意義を否定するつもりはない。それ自体を生きる目標と設定し、その達成度が充実度や満足度にも直結する場合はそれも良いだろう。

僕はこれまで長寿と言えるほど長生きできなかった人や、長寿ながら健康ではなかった人でも幸せそうに余生を送り死を迎えた人を度々目にしてきた。世の中には健康でもあまり幸せそうではない人もいれば、健康を害していてもとても幸せそうな人もいる。医師という仕事柄なのか、あるいはもともと数値目標の類が苦手な性格なためか、僕の場合、健康長寿という言葉から健診数値や年齢を連想してしまうと充実度や満足度という尺度には結びつきにくくなってしまう。逆に、健康長寿自体は数値や目標にせず、それとは別に存在する目標を達成するための条件だと考えるのはどうだろうか。それも「絶対条件」ではなく「希望条件」程度のものにすると実感や親しみが湧く。

その健康長寿をもって僕は何を叶えてきたのだろうか。

それは、仕事においては好奇心・探求心や知識欲を満たすこと、私生活においてはそれも含めたさまざまな希望や欲求を満たすことだろう。その結果、気がつくと「そこそこ健康」で「そこそこ長寿」といえる通過点の一つにたどり着いたというのが僕の実感だ。必ずしも好奇心や知識欲である必要はないが、誰にとっても「〇〇心」や「〇〇欲」といった「心」の要素は、健康長寿を実現する上で一番重要だと考えるようになった。

宣伝になってしまうが、僕は今年の4月から読売新聞の「yomiDr.(ヨミドクター)」という医療情報サイトで連載を担当している。

●yomiDr.(ヨミドクター)「心のアンチエイジング~米寿になって思うこと」
https://yomidr.yomiuri.co.jp/column/shioya-nobuyuki/

読者の多い大手メディアということもあり、このコラムや個人ブログに比べると「ソフトな」情報発信を心掛けているが、「yomiDr.」連載はその名の通り「心」がキーワードだ。

米寿になって初めて見える風景がある。米寿を迎えたからこそ伝えたいと思うこともある。

健康長寿で行こう!

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」

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