新型コロナウイルス報道とカルロス・ゴーン報道

新型コロナウイルス報道とカルロス・ゴーン報道 健康長寿で行こう!

新型コロナウイルス報道が過熱している。
特にテレビはこの報道に偏り過ぎてはいないだろうか。

専門家ならではの不安?

WHOは数日前、新型コロナウイルスの拡大が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」に当たるとして、ついに緊急事態宣言を発した。経済や社会全体への世界的な影響が大きいということもあり、単なる健康・医療ニュース以上の緊急性や重要性があることは間違いない。だが、実際の報道の中身はというと、感染者や発症者に関する細かい情報や感染経路に関する話題が多い。

また、多くの番組では感染症の専門家や内科医などが同席したり彼らのコメントを流したりしている。専門分野は異なるが僕も長年メディアの取材を受けてきた身。時間や紙面が限られる中で医学や医療の専門的な話を一般向けに整理して伝えることの難しさは身に染みている。メディア側であらかじめ「ストーリー」や何らかの結論を想定・期待している場合はなおのこと。

今回のように事態が刻々と変化する状況の場合、判断材料となる情報の量や鮮度も限られる。自身の発言や見解がどのように切り取られて報道され、視聴者にはどのように理解されるかということに不安を覚えながら語る専門家や医師も多いのではないだろうか。

なぜか思い出す「カルロス・ゴーン報道」

まったく別のできごとではあるが、カルロス・ゴーン日産前会長の不法出国報道が溢れた年末年始、各局のニュース番組では彼の脱出経路や手段についてまるで推理小説のような報道を繰り返していたことを思い出す。

レバノンで行われた「ゴーン劇場」と呼ぶべき記者会見のインパクトは大きかったが、それ以前からも海外メディアは日本の司法制度や検察の情報公開の問題について度々報じていた。ゴーン被告の卑劣さや出国手段の推理に偏る国内メディアとは明らかに視点や興味の対象が違っていた。国内報道が偏った理由の一つには、日本が事件の「被害」当事国だったということもあるだろう。だが、その彼我の差は情報の送り手側の視点や興味の差だけではなく、受け手側にとっての視点・興味や情報価値の差があってこそのもの。これはニワトリと卵の関係のようなもので、どちらが先なのかは分からないが。

今回のケースではもちろん、感染者や感染経路に関する報道が不要だということではない。あくまでもバランスの問題だ。一般メディアとして扱う幅広い情報の中で新型コロナウイルス報道の占める比重や、その中で取捨選択される話題のバランスに関しては違和感を覚える部分が多い。そもそも番組の作り手側は報道番組と情報番組を区別して情報発信をしているようだが、こと「ニュース」となると一般視聴者にはその違いも分かりにくい。

今や死語になった感もある、昭和の「1億総中流社会」という言葉を借りるなら、現代の日本は「1億総『健康志向』社会」。それは良いとしても、それに関わる健康・医療の情報発信のあり方にはいろいろな課題がある。

そんなことも考えさせられる新型コロナウイルス問題だが、まずは早く感染拡大にブレーキがかかり、終息に向かうことを願いたい。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」

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